約 2,429,857 件
https://w.atwiki.jp/jlgc/pages/15.html
英国議会は上院(House of Lords)と下院(House of Commons)の二院制であるが、上院議員は選挙による選出ではなく、下院議員だけが総選挙で選出されている。その下院選挙(総選挙)が2005年5月5日(木)に実施された。 2001年以来4年ぶりとなる2005年の選挙は、低失業率や堅調な個人消費など英国経済が好調な中、労働党ブレア首相(当時)が5年の任期を1年前倒す形で行われた。 選挙結果は、労働党が党史上初となる三期連続政権を獲得することとなったが、前回より47議席減の356議席、保守党は前回より34議席増の198議席、自由民主党は前回より11議席増の62議席、その他が3議席増の30議席となった(総議席数は646)。主要3党の得票率は、労働党が5.5ポイント減の35.2%、保守党が0.6ポイント増の32.3%、自由民主党が3.8ポイント増の22.1%と選挙前の各党支持率予測とほぼ同様の結果となった。 その後、ブラウン首相は政権を引き継いだが、労働党は2009年6月の地方選での歴史的な大敗に続きその後の欧州議会選挙でも敗退をしている。 なお、選挙後の離党などの結果を踏まえた2009年7月24日現在の政党別の下院議席数、上院議席数は図表1-2のとおりである。 【図表1-2】 【下院の政党別議席状況】 労働党 350 保守党 196 自由民主党 63 民主統一党 9 スコットランド民族党 7 シン・フェイン党 5 ウェールズ民族党 3 社会民主労働党 3 アルスター統一党 1 その他 9 計 646 【上院の政党別議席状況】 保守党 193 労働党 215 自由民主党 71 無所属 202 大法官 26 その他 32 計 739 出典:United Kingdom Parliament Website なお、議員の選出が選挙によらない上院のあり方については様々な議論がある。1997年に政権の座についた労働党は、総選挙時のマニフェストにおいて「上院は改革されるべきだ」との書き出しで上院改革を政権公約としてあげ、政権発足後上院改革に着手した。マニフェストでは、まず、第一段階として上院における世襲貴族の議席と投票権をなくし、その後上院の権限と組織の抜本的見直しを行うこととしていた。しかしながら、1999年に750人ほどいた世襲議員を92人に削減したものの、その後改革は足踏み状態となっている。
https://w.atwiki.jp/kokomadeyonda/pages/34.html
帝國陸軍の戦闘機。通称「飛燕」。略称「三式戦」。 現在三式戦は『本国防空』名目で少数配備されています。昭和17年度までに試作機・増加試作機12機、18年度に48機生産され、19年度でも48機予定されています。1年に1個戦隊ずつ編制という非常にのんびりとしたぺースで、戦力としてではなく液冷エンジンの技術開発・研究を目的とした配備です。その為、生産性、整備性の悪さはレムリア併合時(昭和18年末)には改善されていません。
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/713.html
名称 九七式戦闘機 略称 九七式戦闘機甲型 プライマリ セカンダリ 八九式 7.7mm機銃(機首2門) 九七式戦闘機乙型 プライマリ セカンダリ 八九式 7.7mm機銃(機首2門) 25kg爆弾×4発 概要 日本軍の戦闘機。初期および末期に登場する。 運動性は良いがエンジン出力が低く、武装も貧弱。 コメント 機体性能は馬力が弱いこと以外はまとまった性能。火力は弱いが出てくるマップの大半で空戦をする機体ではない。爆装は25kg爆弾だがしっかり直撃できれば戦車を倒せる。 -- Shokaku (2021-04-01 21 10 41) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/mahjlocal/pages/2338.html
読み せんとうきとたいくうほう 種別 その他のローカルルール 別名 解説 対面の捨て牌で3索(戦闘機)の上の部分を自分に向けて捨てられたら、飜数の縛りが1飜上がるというルール。 ただし、7筒(対空砲)を捨てていれば防御出来る。 成分分析 戦闘機と対空砲の47%は宇宙の意思で出来ています。戦闘機と対空砲の43%は濃硫酸で出来ています。戦闘機と対空砲の6%は食塩で出来ています。戦闘機と対空砲の4%は黒インクで出来ています。 採用状況 参照 戦車と地雷
https://w.atwiki.jp/2chsiberiassf/pages/114.html
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、支那事変(日中戦争の当時の呼称)の半ばから大東亜戦争[1]の終戦まで、主力戦闘機として前線で運用された。 大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われ、大戦末期には多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。 開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製。アメリカ陸軍のムスタングP-51、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。 ドラキュラ・ヴラド・ツェペシュ3世が戦闘機として使っている。 いままでは別のエンジンで飛んでいたが、本物のエンジンが手に入ったので載せ替えた
https://w.atwiki.jp/siberia_specialforce/pages/499.html
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力艦上戦闘機。零戦(ぜろせん、れいせん。“ゼロ戦”とも)の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的に最終型式で、支那事変(日中戦争の当時の呼称)の半ばから大東亜戦争[1]の終戦まで、主力戦闘機として前線で運用された。 大戦初期、長大な航続距離、重武装、優れた格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めたことから、当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。しかし、大戦中期以降、連合国側新鋭機の大量投入や日本側のベテラン搭乗員の損失からその戦闘力の優位は失われ、大戦末期には多くの日本機と同様、特別攻撃機としても使用された。 開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製。アメリカ陸軍のムスタングP-51、ドイツ空軍のメッサーシュミットBf109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次世界大戦期の代表的な戦闘機として知られている。 ドラキュラ・ヴラド・ツェペシュ3世が戦闘機として使っている。 いままでは別のエンジンで飛んでいたが、本物のエンジンが手に入ったので載せ替えた
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28778.html
登録日:2014/06/08 (日) 01 29 00 更新日:2024/02/11 Sun 01 43 23 所要時間:約 11 分で読めます ▽タグ一覧 やればできる子 ガラスの心臓 三式戦闘機 大日本帝国 戦闘機 本領発揮は最末期 液冷エンジン 航空機 見た目はイタリアの伊達男 陸軍 飛燕 三式戦闘機は、大日本帝国陸軍が運用した戦闘機である。帝国陸軍唯一の液冷エンジン搭載型戦闘機。愛称は飛燕、連合軍のコードは「Tony(トニー)」。 米軍視点ではイタリア機のパチモノに見えたようで、イタリア系移民によく見られる「Antony」の愛称である「Tony」と呼ばれるようになったんだそうな。 搭載されたエンジンの素性から『和製メッサー』とも呼ばれる、ガラスハートな高性能ながら繊細な扱いを強いられた機体だった。 性能諸元(二型) 開発経緯 機体の特徴 戦歴敵国の評価 自国からの評価 バリエーション 創作における三式戦 性能諸元(二型) 試作名称 キ61-Ⅱ改 全幅 12.00m 全長 9.16m 全高 3.75m 翼面積 20㎡ 自重 2,855kg 正規全備重量 3,825kg 発動機 ハ140(離昇1,500馬力) 最高速度 610km/h(高度6,000m) 上昇力 5,000mまで6分00秒 武装 機首20mm機関砲2門、翼内12.7mm機関砲2門 爆装 250kg爆弾2発 開発経緯 時は1940年2月。陸軍から川崎に対し、ダイムラー・ベンツが開発したDB601のライセンス生産品であるハ40を用いた液冷エンジン搭載型戦闘機2機種の開発が指示される。 重戦闘機キ60と軽戦闘機キ61のナンバーが与えられ、前者は開発指示から即座に、後者は12月から設計開始となった。設計主務は両機ともに土井武夫。 副主任の大和田曰く「戦闘機は総合性能で敵に勝って何ぼ、軽戦とか重戦とかバカじゃねーの?」であり、同時に川崎の開発チームに共通する理念だったという。 また、土井自身もキ61を理想的な戦闘機としてまとめあげようとしていたと後に語っている。 飛行試験の結果、キ60はキ61と同等のエンジン(キ60にはオリジナルのDB601、キ61にはハ40を使用)でありながら速度と格闘性能で劣っていたこと、 また鍾馗に対しても絶対的に優越でなかったことから制式採用されず、キ61は43年10月に制式採用された。 その飛行性能は、設計者の土井自身でさえも予想外なレベルであったという。 機体の特徴 上述のようにドイツの液冷エンジンのライセンス品を心臓として生み出された飛燕だが、その心臓こそが本機の最大の特徴にして癌でもあった。 原型はたしかに先進的かつ高性能だったが、日本でコピーする際に戦略物資であるニッケルの使用を禁じられてクランクシャフトの強度が低下。 また工作機械不足や性能の問題から、工作精度をオリジナルより2桁ほど妥協せざるを得ず、クランクシャフトやベアリングの破損が多発。 さらに戦況悪化からくる熟練工員の欠乏が追い討ちとなり、極めつけに当時の帝国軍の標準だった空冷エンジンとの整備の差異がとどめとなって、 確かに高性能ではあったが前線からは端的に「飛ぶと壊れる」とまで忌避された。 整備の差異や整備兵の未熟に関しては習熟でどうにかなったが、部品精度の低下まではどうしようもなかった。 しかしこの『ガラスの心臓』は、本機に優れた飛行特性をもたらした。頑丈な機体は突っ込みが利き、帝国軍機の典型的欠陥である急降下性能も申し分なかった。 イタリア機のような流麗なボディは空力特性に優れ、頑丈かつ高アスペクト比な主翼は高速性と旋回性のどちらにも程よく良好な結果をもたらした。 航続距離も帝国軍機らしく長大であり、侵攻にも邀撃にも扱いやすい機体となっている。これでエンジンさえまともだったら…… 一方で上昇力は貧弱の一言であり、せっかく帝国軍機の中ではまともな部類の高々度性能を活かせない場面も目立ったという。 オリジナルを搭載したBf109Fよりも全備重量が1トン近くも重いせいとする見方もある。 火力面では初期型では12.7mm機関砲が完成まもなくで数が揃わなかったこと、また20mmに至っては開発の目処さえ立っていなかったため、 鍾馗同様に12.7mmと7.7mmの混載(ただし搭載箇所は鍾馗と逆)となっている。 12.7mmが充当してからは全火砲を12.7mmに、また20mmが完成してからは翼内機銃を20mmに換装している。 火砲の開発が遅れたこと、またエンジンがお通夜状態だったことさえ無視すれば、頑丈で高速、なかなか使いでのある汎用戦闘機であったと言えるだろう。 ……エンジンさえまともだったらな…… 戦歴 第14飛行団の第68戦隊によって、ラバウル方面への戦力増強として展開したのが初の実戦運用となる。 彼らは42年3月に編成されたばかり。43年の年明けからキ61(この時まだ制式化前)への機種転換を開始したが、この時点では初期不良の洗い出し未了で整備兵も水冷エンジンに不慣れ、 各員の努力でどうにかこうにか“飛ばせる程度には”習熟できたものの、出撃時期の3月末が迫ってもなお未修飛行と戦闘訓練数回程度という有様だった。 空母『大鷹』でトラック諸島に移動し、空路でラバウルを目指すものの、隊長機のコンパス故障などから先発隊12機中2機がエンジン不調で自爆、 隊長機含む9機が道中で不時着、ラバウルに到着できたのは1機のみという惨憺たる結果であった。 後発隊も故障で1機喪失していたため、進出作戦で到着したのは機体27機中15機、喪失搭乗員3名、喪失機材10機という見ちゃいられない結果となった。 教訓 訓練未了で出撃はダメ、絶対。 空輸された補充機で戦力を補充し、5月15日の九七式重爆撃機護衛で初陣を飾り、7月5日までにラバウルへの進出を完了した。 その後は陸海の作戦領域分担に伴いニューギニアのウエワクへ転進。 P40相手に無双するが、8月17日の戦爆連合による奇襲攻撃で壊滅的損害を受け、12月には一型丙の到着で大幅に火力が増強されるが、 その頃には人員・機材ともに消耗しており、さらにはアメーバ赤痢やマラリアの蔓延で戦力発揮が困難な状態だった。 翌年2月にはホランジアへ後退し、7月25日に第14飛行団解散となった。 第22飛行団が飛燕を受領してマニラに進出した頃には、「三式は爆撃機邀撃に適」という評価を受け、制空戦闘に関しては疾風の方に期待が移り始めていた。 やはりここでも過酷な戦闘による人員損耗と補充物資の質的劣化に悩まされ、45年1月9日の第17戦隊長(荒蒔義次少佐)のフィリピン離脱をもって第22飛行団は残存人員の内地帰還をほぼ完了する。 その後はもっぱら本土防空に運用されるが、帝国軍機共通の弱点から高度10,000m以上では浮いてられるのが精一杯で、外せるものを全て外して上昇力を確保し、 航空特攻(パイロットは直前で脱出するので海軍のアレより人員損耗率はマシ)でB-29を決断的に破壊する震天制空隊が編成されることさえあった。 カーチス・ルメイの戦術転換で高々度爆撃が行われなくなってからは多少はマシになったが、エンジンに泣かされ続けるのは終始変わらなかった。 唯一現存する機体(二型改)は知覧特攻平和会館で展示保存されている。 敵国の評価 米軍が43年に鹵獲機を用いて行った評価試験のレポート「陸海軍合同識別帳」によると、飛燕は「重武装と良好な防御力を備えた素晴らしい機体」という。 実際、帝国軍機の中ではかなり良好な防弾性能であったし、機体強度もスマートな外観からは想像できないほどではあった。 しかし飛燕の特性を思い出していただきたい。良好だけど米軍の超出力エンジンには負ける速度性能、十分良い部類ではあるが帝国軍機の中ではそこそこレベルの運動性…… ぶっちゃけ米軍機に勝ってる部分がそこそこの運動性の差しかなかったのだ。と言うか性能特性では結構似ていたりするので、パイロットからの評価は 「ZEROやHAYABUSAほど小回りは利かないし、絶対的に足が速いってわけでもない。むしろ対処が楽だったぞ?」という辛口なものだったりする。 評価試験で好評だったのは、元々米軍が戦闘機に求めているものと合致していたからのようだ。 自国からの評価 さんざん上述しているが、「エンジンさえまともだったら悪い機体じゃなかった」というのに尽きる。 一撃離脱後に急降下して離脱する敵機に食いついて叩き落とす事例もあったようで、性能を活かす戦術と徹底した整備、あともっと頑丈なエンジンさえあればもっと活躍できただろう。 頑丈だし、重武装だって積めるし、空戦も爆撃機迎撃も両方こなせるのだから、エンジンさえまともだったら相当使い潰しの利く機体となったはずだ。 実際、後述する五式戦はエンジン取っ換えただけでまともに動き、戦えるようになっているのだから、なんとももったいない話である。 バリエーション ○一型甲(キ61-Ⅰ甲) 最初期生産型。防漏タンクはゴムとフェルトの複合型(ゴムの消費軽減が目的と思われる)だったが、421号機以降はゴムのみでの防漏に改められた。 生産機数は機体番号113から500までの388機。 ○一型乙(キ61-Ⅰ乙) 翼内機銃を12.7mmに換装した初期計画での正規生産仕様。514号機からは操縦席後方とラジエータへの防弾板が追加装備(着脱式)された。 同機以降は欠陥のあった燃料タンクを廃止したため、機体の燃料搭載量が200l低下している。 また650号機以降のナンバーでは防漏タンクのゴム厚を増やしたため、その分さらに燃料搭載量が下がった。 生産機数は約600機。 ○一型丙(キ61-Ⅰ丙) 43年9月-44年7月にかけて生産された、ドイツから輸入した20mm航空機関砲(通称 マウザー砲)を翼内にマウントした重火力タイプ。 主翼から砲身が突き出ているので他のタイプとは見分けやすい。 わざわざ輸入したのは陸軍が20mm航空機関砲の開発に手間取ってたから。海軍と共用しろって?言うな。 生産機数は既存型からの改修を含めて約390機程度。 ○一型丁(キ61-Ⅰ丁) 44年1月-45年1月にかけて生産された一型の最終生産仕様。輸入したマウザー砲を使い切ったあともその火力が求められたため、ようやく実用化の成った国産20mm航空機関砲を搭載できるよう機首を再設計した。 マウザー砲に比べると火力で劣る代わりに小型だったため、機首に搭載できたのだという。 その他胴内燃料タンクの復活など細々とした改修がなされているが、重量増で飛行性能はやや劣化している。 生産機数は1,358機と、飛燕の全仕様でも最多。二型ほどではないが、ハ40の徹底改良が理由で後述の「首なし」はそれなりにあった。 ○キ61-Ⅱ 42年頃から計画された飛燕の強化改良型。より大出力なエンジンへの換装や主翼への20mm機関砲搭載のための改修など、見た目以外は別物と言っていいレベルで手が加えられている。 最大で20mm機関砲4門を搭載し、最大時速640km/hを誇る高速重戦闘機として完成する予定だった。 搭載したエンジン(ハ40改良型のハ140)の目を覆うばかりの不安定さから実用化は難航し、最終的に計画中止となった。 ○二型(キ61-Ⅱ改) キ61-Ⅱをベースに主翼を一型丁に差し戻したもの。飛行性能の向上が顕著でなかったとか20mm機関砲の供給のせいだとか異説はそれなりにある。 全備重量は増加したが、高出力化したハ140の恩恵で速度と上昇力は向上している。 防漏タンクを強化したため翼内タンクの容量がまた下がったが、この頃になると完全に迎撃機として認識されていたので問題視されなかったようだ。 44年9月から量産が開始され、所定の性能を発揮できれば高性能を存分に見せつけられたのだが、案の定ハ140がお察しだったので生産は100機程度で打ち切りとなった。 というのも、ハ40の時点でマテリアルの質が劣るところに無理やり性能向上を試みたため、飛ぶと壊れるどころか触れたら砕けるレベルまで質が落ちてしまったのだ。 機体は374機分完成していたのだが、肝心のエンジンが品質死亡宣告 生産遅延で99機分しかできなかった。 この残された「首なし飛燕」をどうするか、という模索の果てに生まれたのが後述の五式戦闘機である。 ちなみに生産打ち切りと制式化決定はほぼ同時だったという。 ○五式戦闘機(キ100) 本当は別の機体ということになっているのだがここに記載する。 簡単に言うと、飛燕の機首を大型化してハ112-Ⅱ(海軍名称 金星62型)をブチ込んだだけ。 なお製造理由はエンジン生産が追い付かず「首なし」三式戦闘機できたから。…ここまでくると呆れを超えて涙を誘う。 ちなみにこのエンジンは元々は百式司令部偵察機三型のために製造されたが、機体が間に合わずに余っていたもの。 エンジンが大型化したため空力特性がガタ落ちすることが懸念されたが、Fw190を参考に『生じた渦流をエンジン周りの推力式単排気管で吹っ飛ばしてどうにかする』という方法で解消。 前面投影面積の増大で最高速度は低下したが、空冷化に伴う軽量化で格闘性能と上昇力が大幅な向上を見る。 何よりも稼働率の大幅な向上(*1)が軍を喜ばせた。ぶっちゃけ液冷エンジンなんか要らないんだ! だが空襲による生産遅延や施設破壊で生産数は落ち込み、試作機を含む総生産機数はわずか390機程度。劣戦故に余裕がなかったとはいえ、世界的には空冷エンジンが戦争中期には見直されていたのにそれに追いつけなかったのが惜しまれる。 早速受領した実戦部隊からの評価は非常に高く、第244戦隊長の小林照彦少佐などは「五式戦をもってすれば絶対不敗」とまで言い切ったという。 その他寄せられた評価をまとめると、「操縦性、上昇力、旋回性が素晴らしいうえに信頼性も飛燕とは段違いだ。相手がP-51でも互角に戦える。なぜもっと早くこうしなかったし」。 もちろんスペック上、とても戦局を覆せるものではなかったし、元々は二型実用化までのつなぎの機体だったが、確実に稼働し、パイロットの腕に応え、連合軍の主力新鋭機と互角に渡り合い、 しかも状況によっては圧倒できるだけのポテンシャルは有しており、末期の陸軍航空隊の士気の拠り所となっていたことは事実である。 とはいえ得意な空戦高度であれば対抗可能という話は他国でも例があり(MC202やP-39等)、後世のミリオタから過大評価されがちである。 また大戦後期には信頼性で定評のある栄も稼働率が悪化して金星もその例外では無く、あくまでも液冷エンジンよりマシだった事に留意する必要がある。 とまあ、運用していた陸軍からは好評だったが、米軍に接収された機体は特に興味を引くものではなかったらしい。 まぁ当時軽視されていた空冷エンジンで高性機が作れると証明したFW190とかP-47と比べたらね…。 世界唯一の現存機はRAF博物館が所蔵(*2)しており、全パーツがオリジナルでというわけではないが極めて良好な状態を維持している。 創作における三式戦 三式戦、五式戦ともにIl-2に参戦している。動かしてみたいのならプレイするといいだろう(モロマ また、蒼の英雄 -BIRDS of STEEL-にも一型丙まで登場している。 仮想戦記では早々に金星へ換装させられて、実質五式戦として運用される例が多い。 日本が連合国側として参戦している場合は、英国製液冷エンジンを搭載して史実よりも高性能化している事もある。 追記・修正は糞みたいな液冷却エンジンを最高の空冷エンジンに換装してからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ちなみに開発者いわく「飛燕からの改造を行わないで最初から五式戦を作ろうとしたらもっとずんぐりむっくりな機体になっていたと思う」三式戦をすっ飛ばして五式戦、というのは無理だった用だ -- 名無しさん (2015-02-23 23 02 38) マジで? -- 名無しさん (2015-04-26 09 49 11) マジで、五式戦があの形状と性能になったのは水冷エンジン機に空冷エンジンを無理やり積む際のエンジンと胴体の隙間をどうしよう?という試行錯誤から来たものだから。だから最初から五式戦のような要求性能で作ってたら二式戦っぽいなにかになってた可能性が高い。 -- 名無しさん (2015-09-21 07 32 56) 一言で言ってしまえば日本の身の丈には高すぎた戦闘機だったってことだな -- 名無しさん (2019-03-13 18 30 39) 五式戦は吉岡平や新谷かおるが自作品の中に登場させている。思い入れがあるのだろうか。 -- 名無しさん (2020-05-05 00 35 59) エンジンさえまともならってそのエンジンこそが国の工業力が問われる箇所なわけだからそこでifを語られても意味ねーよとしか思えない -- 名無しさん (2021-02-11 00 48 20) 絶好調の3式2型と5式ってどっちが強力なんだろう? -- 名無しさん (2021-10-11 17 17 57) DB系エンジンはドイツ本国でも結構難しい奴だったみたいだけどね -- 名無しさん (2022-06-22 18 40 14) せめて熟練工員の保護だけでもやってたらねえ -- 名無しさん (2023-09-13 20 13 19) 技術のある工員は前線でも整備兵として必要とされていたので、実は日本だけじゃなく列強はほぼすべて熟練工でもお構いなしに徴兵してるのだ。違うのはアメリカやイギリス、そしてやや不完全だがドイツも、熟練工の不在を前提とした生産体制を確立していたことだけども、工業国ではなく大量生産ノウハウもしょぼい当時の日本ではちょいと厳しかったのだ。 -- 名無しさん (2023-12-07 23 42 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/538.html
名称 局地戦闘機秋水 略称 秋水 武装 プライマリ セカンダリ 1番席 ホ-155 30mm機関砲(機首2門) ロケット噴射 関連 Me163コメート 概要 日本軍の局地戦闘機。ドイツ軍のMe163を元に設計されているが、機関砲が日本製のものに換装されている。次元の違う速度を誇り、さらに30mm機関砲を2門備えており火力も別次元である。 コメント たまに菊水2で出撃時のコレに轢かれている人がいる、止まるに止まれないので格納庫前は注意。 -- 名無しさん (2014-02-08 13 59 29) 日本機の中では圧倒的当たり前に最速。悲しいながら出てくるマップがマップなので爆撃機迎撃などさせてもらえない悲しい機体。 -- Shokaku (2021-04-01 21 22 23) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28735.html
登録日:2014/06/02 (月) 18 53 00 更新日:2022/08/23 Tue 08 51 03 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 九七式戦闘機 名機 大日本帝国 戦闘のできる曲芸飛行機 戦闘機 航空機 陸軍 九七式戦闘機は、大日本帝国陸軍で運用された戦闘機である。軽戦の極致と称された当時最強(と言うかレシプロ最強クラス)の格闘戦能力が最大の武器。 キ番号(試作名称)はキ27、通称は九七戦、九七式戦など。連合軍内でのコードネームは「Nate(ネイト)」。貧乳回避の第五特務とは断じて関係ない。 性能諸元 開発経緯技術的特徴 実戦での活躍 創作における九七式戦闘機 性能諸元 エンジン 空冷9気筒 中島ハ1乙(地上正規出力610馬力、地上最大出力710馬力) 最大速度 470km/h(水平3,500m) 航続距離 627km 全高 3.28m 全幅 11.31m 全長 7.53m 主翼面積 18.56㎡ 自重:1,110kg 全備重量 1,547kg(燃料満載) 上昇時間 5,000m/5'22" 実用上昇限度 12,250m 武装 胴体内7.7mm機関銃2門(携行弾数各500発) 爆弾 25kg×4 増槽 左右各133L 開発経緯 時に1935年。海軍の九試単座戦闘機(*1)の成功に嫉妬した刺激を受けた陸軍は、海軍の了解を得た上で、同機の陸上仕様を九五式戦闘機の試作審査に途中参加させた。 が、「エンジンがちょっと、ねぇ……」という理由でボツ。とりあえずで川崎のキ10が採用される。が、こいつは複葉機だった。 「(この先いくらなんでも複葉機じゃ)いかんでしょ」ということで翌年4月、陸軍用の低翼単葉戦闘機の競争試作が中島・川崎・三菱の3社に指示される。 この際の要求性能は 1.最大速度は450km/hを維持すること 2.上昇力は高度5000mまで6分以内であること 3.従来の複葉機と同等以上の運動性を有すること という、当時としてはかなり高性能な機体であった。 で、次期主力戦闘機の開発というビッグウェーブにヒャッハー(1社除く)した各社の試作機の特徴を挙げてみるとこうなる。 ○中島 キ27 陸軍の好みである格闘戦に特化した、軽量かつ水平旋回性の高い機体 ○川崎 キ28 水冷式高出力エンジンを唯一搭載した、高々度での高速性能重視型 ○三菱 キ33 九六艦戦が陸軍に受けなかったのを逆恨みしてやる気なし、同機の簡単なアップデート ここでキ33を選んでおけば楽だった(*2)のだが、「全領域で九六艦戦以上の機体じゃなきゃヤダヤダ!」という陸軍のメンツ、そしてそもそもやる気のなかったせいで三菱が早々に離脱。 水冷エンジンに不安の残るキ28を抑え、キ27が選定されることとなる。ちなみに、海軍は三菱、陸軍は中島が主体となるきっかけにもなっていたりする。 盧溝橋事件の発生もあって審査は急かされ、1937年(皇紀2597年)に九七式戦闘機として制式採用された。 技術的特徴 本機の母体となった試作機であり、九五式戦闘機の採用審査に敗れたキ11は、当時としては革新的な低翼単葉の高速機だった。 とはいえ完全なものではなく、主翼の強度保持のために固定脚のスパッツと主翼下面の間に鋼線を張っていたりと、完全な単葉機とは呼べなかった。 まあ、高速性能はともかく、陸軍が格闘戦重視だったせいで複葉機に負けたのだが 本機の特徴でもある前縁直線翼は、続く隼以降の小山悌を設計主務とする中島製単座戦闘機に採用され続けることとなった。ちなみに発案は糸川英夫。 その他にも 1.主翼を左右一体構造にし、胴体を乗せる方式(生産性向上と軽量化に寄与) 2.胴体を操縦席以降で前後分割し、ボルト留めにした(メンテナンス性と輸送性の向上) 3.不整地離着陸を考慮した固定脚の採用(既に引き込み脚は実用化されている) 4.操縦席後部の胴体内燃料タンクをオミット、陸軍単座機初の増槽装備 (*3) というのが大きな特徴といえるだろう。特に1と2は後の帝国軍機(川崎製除く)の標準技法となっている。 機体外面に開口部がないが、これはエンジンのシリンダーの隙間に銃身を配置し、カウリング中央の開口部から発射するため。 性能面での特徴は、複葉機さえ上回るほどに高められた運動性能(特に水平旋回性)と安定性、そして操縦性だろう。 帝国陸軍の単葉単座戦闘機の基礎となったがゆえに、後に一線を退いてからも、高等練習機として長く運用されたほどだ。 漢口でしばしば行われた陸海共同の模擬戦では、普段陸軍をナメきっている海軍のパイロットが「陸軍の分際であんないい機体を、グギギ……」と悔しがるほどだったという。 ちなみに、本機と同時期に欧州ではスピットファイアやハリケーン、Bf109が完成していたりする。 ……あれ? 実戦での活躍 1938年より九五式の後続・代替機として日中戦争に投入される。 本機が名を挙げたのは39年のノモンハン事件で、ソ連軍機をフルボッコにしソ連進軍と帝国軍の戦線崩壊を抑止。 複葉機すら一方的にボコれるほどの運動性と「空の狙撃兵」とまで称されるほどの射撃安定性が生んだ成果だった。 この時後の帝国陸軍最強格のエースを多数輩出している。 が、ノモンハン後期ともなると、ソ連軍機が一撃離脱戦法に切り替え、さらにスペイン内戦を経験してきたベテランを投入したこともあり被害が拡大。 ついでに本機にまともな防弾装甲がないのも相まって、最終損耗率60%というヤバいレベルにまで到達してしまっていた。当然、ベテランもものすごい勢いで死にまくった。 この戦訓から、陸軍は技術的(*4)・戦術的(*5)な収穫以上に、航空機( パイロット)の有効性と消耗度の高さを痛感する。 しかし、緒戦の大勝利に酔うパイロットはお約束のようにこれを見過ごしたまま、格闘戦至上主義(*6)につま先までドップリと浸かってしまう。 上層部の方はまだその点では見る目があり、戦訓から「もうちょい重装甲 大火力じゃないと死ねるな……」とは思っていたのだが、肝心のパイロットがご覧の有様だったため、 キ43(後の隼)以降の主力戦闘機の選定・量産計画にまで悪影響を与えてしまうこととなった。 というか、一式戦の選定が遅れたために後発機の開発が遅れ、最終的にご覧の有様になってしまったことを鑑みるに、ある意味本機こそが諸悪の根源である。 無論、本機が絶対悪だったわけではない。比類なき格闘性能は歴代レシプロ機の中でも最上位、というか最強候補筆頭だし。 本機が諸悪の根源化した最大の要因は、やはり当時から脳筋思考停止と根性論至上主義に定評のあったパイロット達だったとしか言い様がない。 結局、彼らの格闘戦至上主義は、連合軍の重装甲・重武装機に一撃離脱戦法で一方的にフルボッコされるまで根強く残ることとなった。 尤も、旋回半径が小さくても複翼の九五式戦闘機では一撃離脱戦法を仕掛けるソ連のI-16を追撃出来なかったのに対し、本機は速度と加速性能でマシだったので対応し易かったことも事実であり、複翼戦闘機重視論者が沈黙し、格闘戦性能重視と言っても速度や加減速性能を活かした格闘戦にシフトしたのも事実である。 太平洋戦争開戦時には既に旧式機と化しており、42年以降は後続の一式戦にその座を譲った。 その後は練習機や連絡機として用いられていたが、ドゥーリットル空襲の際にはB-25迎撃に一部の機体が参加している。 末期には当然のように特攻機としても運用されたが、250kg爆弾を運用するには非力すぎたため、離陸から飛行まで常にエンジンを全開にしておく必要があった。 で、そんなことをすると潤滑油が焼けつくわエンスト起こすわで出撃不能・中途帰投機が頻発。 唯一の現存機である大刀洗平和記念館の展示機からして、過積載→エンジン不調→博多湾に不時着水して96年に引き揚げられたというしまらない経歴の持ち主だったりする。 創作における九七式戦闘機 とりあえずIl-2 1946では操縦可能。ウォーシミュレーションでも初期に開発可能な旧式機扱いがほとんど。 仮想戦記では、子竜螢氏の「陸軍空母戦記 ミッドウェー陥落せり!!」で陸軍空母あきつ丸に搭載されてミッドウェー戦に参加。『赤城』と『飛龍』を救っている。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] つま先までドップリと浸かってしまう ぜんぜん浸かってないじゃない、ちゃんと肩まで浸かりなさい -- 名無しさん (2014-06-03 16 35 03) 現場で命を張るパイロットが触れた事の無い新技術より従来の保守的な技術を志向するのは仕方が無いんですけどネ -- 名無しさん (2014-08-31 18 34 24) 囲んで叩こうにも無線機がなぁ・・・。 -- 名無しさん (2016-10-16 21 14 43) ↑2穴拭智子少尉が最初そんな感じだったな -- 名無しさん (2018-03-30 14 09 53) ↑4 逆立ちしてるんだよきっと。当時の戦闘機乗りは腕力の鍛錬や宙返りの遠心力による胃下垂改善のために逆立ちが推奨されてたそうだし。 -- 名無しさん (2020-04-24 11 29 47) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/695.html
名称 一式戦闘機 隼 略称 武装 プライマリ セカンダリ 1番席 ホ-103 12.7mm機銃(機首2門) 爆装型 プライマリ セカンダリ 1番席 ホ-103 12.7mm機銃(機首2門) 250kg爆弾×2発(反跳爆撃可能) クラスター弾爆装型 プライマリ セカンダリ 1番席 ホ-103 12.7mm機銃(機首2門) 30kgHEATクラスター爆弾×2発 概要 日本陸軍の戦闘機。武装は貧弱だが、運動性は抜群に良い。 中期以降は戦闘爆撃機として登場することが多い。 コメント 機動性は高いが馬力はやや弱め。火力も弱いため集中的に弱点に射撃するだけの腕がないと運用は厳しい。爆撃だけ専任とかならだれでもできるかも? -- Shokaku (2021-04-01 21 06 37) 名前 コメント